懐かしいその人の元気そうな姿に、思わず顔がほころんだ。
2008年のちょうど今ごろ、私は一人でニューヨークを訪れていた。ニューヨークを旅するのはそれが初めてだった。見るもの聞くものすべてが新鮮で、大きな刺激に満ちていた。街の人々はみんな親切で、旅のあいだに言葉を交わした人たちのことは今でもよく覚えている。中でも心に深く残っているのは、セントラルパークでサックスを演奏していた男性だ。
その人は、あれから13年たった今でも毎日のように同じ場所に立ち、演奏を続けているのだという。コロナ禍のロックダウンでマンハッタンから人の姿が消えていた期間もずっと、セントラルパークにその音色を響かせていたのだそうだ。しかも彼は、短編ドキュメンタリー映画の主役になったり(映像は
Vimeoで視聴可能。そうそうこの声、この表情!)、
テレビ局のニュースでも取り上げられたりするなど、どうやら地元ではその存在を広く知られているらしい。
あの時、彼の演奏を聴いているのは私ひとりだった。力強さと優しいぬくもりをあわせ持つ音色。私と目が合うと、彼は演奏しながらニコッと笑った。私は手元のカメラをちょっと持ち上げ、撮ってもいいかと無言でたずねた。彼は笑顔のままでうなずいたが、カメラを構えると急にあらたまった表情になり、それがなんだか可笑しかった。
その時撮った写真がこちら。
演奏がひと区切りついたところで私は拍手し、彼の足元の楽器ケースに1ドル札を入れた(もう少し多くあげたかったが、財布の中身が心許なかったのだ)。すると彼は再び笑顔に戻り、私に話しかけてきた。
聴いてくれてありがとう。君は日本人かい?
「イエス。東京から来ました」と答えると、彼の笑顔がさらに明るく輝いた。オー、トーキョーか。僕は以前ロッポンギで演奏したことがある。トーキョーはすごくいい街だね。
そう言うと、彼は私に名刺を差し出した。今夜、◯◯◯っていう店で演奏するから(お店の名前は全く聞き取れなかった)、よかったら聴きにおいで。道に迷ったらこの番号に電話してくれればいいから。
ラルフ・U・ウィリアムズさん、それがその人の名前だった。

もらった名刺。
13年経ってだいぶ汚れてしまったが、捨てられずにずっと取ってある。
「ありがとう。では行くときには電話しますね」そう言って、私はその場をあとにした。
結局のところ、その夜ウィリアムズさんの演奏を聴きに行くことはなかった。東京でもジャズクラブみたいなところには行ったこともないのに、マンハッタンのジャズクラブに一人で乗り込んでいく度胸などあるわけがない。そういう場所に着ていけるような洋服も持ちあわせていない。それに、ハドソン川を越えたニュージャージーの宿に泊まっていたので、帰りの足も心配だった。
帰国してから、やっぱり演奏を聴きに行くんだったと後悔した。旅先から持ち帰ったこまごました物は今ではほとんど手元に残っていないが、ウィリアムズさんの名刺を今でも大事に取ってあるのは、あの時の後悔が心のどこかにずっと残っていたからだ。
ウィリアムズさんが今も元気に演奏を続けていることを知って、心が弾んだ。お互いに健康で、そして生きていさえすれば、セントラルパークでまたあの音色を聴けるのだ。
地元テレビ局のインタビューで、ウィリアムズさんは演奏を続けることについてこう語っている。「単に演奏しているわけではない。魂を引っ掻いているようなものだ("I'm not just performing. I am scratching my soul, so to speak.")」
魂を引っ掻くって、どういうことだろう。ミュージシャンが発する言葉だから、アナログレコードでスクラッチ音をたてるような感じなのだろうか? 魂を引っ掻き続ければやがて無数の小さな傷ができ、そこから血が噴き出ることもあるかもしれない。時が経てば癒える傷もあれば、深い傷跡として残ってしまうこともある。でも、命を脅かすほどの傷じゃなければ大丈夫。今日も魂を引っ掻いて、自分はここにいるぞと誰に対してでもなく小さく叫びながら、自分の足でしっかり立って生きていく。
セントラルパークに立ち続ける日々の中で、ウィリアムズさんはいいことも悪いこともたくさん経験してきたことだろう。そして、自身の目の前で繰り広げられるさまざまな人間模様を眺めながら、生きることの意味を考え続けていたのかもしれない。
そんなウィリアムズさんが見てきたであろうニューヨーカーの小さなドラマが詰まった一冊の本がある。「Goodbye to All That」という、ニューヨークの街をテーマにしたエッセイ集だ。ウィリアムズさんの近況を知ってから無性に読みたくなって、久しぶりに本棚から引っ張り出した。
憧れのニューヨーク生活を手に入れたものの、高い家賃に耐えかね、そして慌ただしいだけの日常に疲れ果て、やがて街を去ってゆく。そんな切ないストーリーが、28人の女性作家によって語られる。
ニューヨークはツーリストには最高の街だが、いざ住人になろうとすると途端に態度を一変させ、目の前に厳しい現実を突きつける。ウィリアムズさんのように一つの場所にとどまって、自分の好きなことをやり続けられる人ばかりではないのだ。しかし、無念の思いを抱いて街を出ていく人たちもまた、魂を引っ掻きながら生きていることに変わりない。魂を引っ掻き続けてできた傷をそれぞれのやり方で癒し、前に進んでいく。そんな彼女たちの物語は、キラキラした成功物語より遥かに私の胸を打つ。
それにしても、都会での生活をあきらめて街を去るという話なら東京にもいくらだって転がっているはずだが、舞台がNYになるとたちまち心を揺さぶるドラマに仕上がってしまうのはなぜだろう。数々の困難が待ち受けていると分かっていながら、世界中の人々が夢を抱いてニューヨークにやってくる。いつかウィリアムズさんに再会することができたら、彼の考えるニューヨークの魅力とは何なのか、魂を引っ掻き続ける場所として彼がなぜニューヨークを選んだのか、聞いてみたいなあと思う。
表紙に惹かれて購入して以来、気が向いたときにパッと開いた章をつまみ読み。そんな読み方が心地よい本です。
新版もあり。エッセイ数編が入れ替え及び追加となっているようです。表紙は旧版のほうが私は好きかな…。
ウィリアムズさんの写真を載せた2008年の旅の記録はこちらです↓
りばてぃさんのブログ「ニューヨークの歩き方」ウィリアムズさん紹介記事です↓
*** いつもお読みいただきありがとうございます ***