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近況。

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新型コロナウイルス感染拡大のニュースが伝えられて以降、心がザワザワしてあまり本を読めていません。私にとって読書とは、知的好奇心を満たすためのもの、もしくは単純な娯楽のためのもの。それらを果たすためには、本の世界にどっぷり浸る必要があります。集中力が欠けたまま本を読むことは時間の浪費でしかなく、私にとってはなんの意味もありません。こんな時は無理に本を開くのをやめ、音楽を聴いたり、たまに外で美味しいものを食べたり、ただひたすら眠ったりして、ささくれ立った心の回復に努めるのが一番です。


そんな中でも、何冊かは本を読みました。ひとつはアルベール・カミュの「ペスト」の英訳版です。今から9年前、東日本大震災の原発事故で世の中がパニックになっている最中に日本語訳で読みましたが、Kindle版が実質50円で手に入るということで(Amazonへのリンクはこちら>> ※価格は変わる場合があります)、今回は英語で挑戦。

目には見えない恐ろしいものに対して、立場の違う人々がそれぞれの価値観のもとに立ち向かうという物語。マッチョな正義感を振りかざすわけでもなければ、ホラー的なサバイバル劇を描いた物でもありません。困難に直面した時に人間はどう行動するのかを、ただ静かに理性的に、読む者に示してくれる作品です。フィクションではありますが、極限に置かれた時の状況を擬似体験することで非常時の心構えができますし、事態の収束を図るために各方面で尽力してくださっている方々に思いを馳せることができます。こんな時、国のエラい人たちにはついつい文句を言いたくなりますが(私も雑記ブログでつい愚痴ってしまいました)、こういう本を読んでおくことは、不安な日々を過ごす中で冷静さを保つためにもとても大事だと思います。


他に読んだのは、私が尊敬してやまない須賀敦子さんのエッセイでその存在を知り、ずっと読みたいと思っていた作家、アン・モロウ・リンドバーグの2冊(1冊は読了、もう1冊はまだ途中)。アンの夫は、アメリカの飛行家チャールズ・リンドバーグです。

アン・モロウ・リンドバーグが綴る言葉にこのタイミングで出会えたことは、本当に幸運だったなと思っています。精神的に自立した一人の女性が紡ぎ出す豊かな感性に、ただただ救われました。心に響いた箇所をノートに書き出しながら読んでいたのですが、そのうちに全部書き写さなければならなくなって、書き出すのを泣く泣くやめにしたほどです(笑)。アンの言葉をひとつひとつ噛みしめるようにじっくり読んでいると、アンの声が私の耳に直接ささやきかけてくるのを感じます。アンの肉声などこれまでに聴いたことがないのにもかかわらず、です。YouTubeなどで探せばアンの声を聴けるのかもしれませんが、その必要を今はあまり感じていません。想像上のアンの声で充分。そして、自分の想像と実際のアンの声はそう違わないのではないかと思っています。それぐらい、アンの言葉が自分のものになっています。

今の心のザワザワが落ち着くまでは新しい本を読む気がしないので、もうしばらくはアンの言葉を反芻しながら過ごしたいと思っています。この2冊は追ってレビューするつもりです。うん、するつもり…。できるといいなあ…。


そんな感じで…。1日も早く、平穏な日常が戻ってきますように。









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# by book-of-dreams | 2020-03-07 19:47 | 本好きのひとりごと | Comments(4)
欧米の過去、そして現在を知るためのノンフィクション2冊 「西洋の自死」「ファンタジーランド」_e0414617_10533621.jpeg

水前寺清子さんが歌う「三百六十五歩のマーチ」という曲があるじゃないですか。1968(昭和43)年にリリースされた、日本で生まれ育った人なら世代を問わず誰もが知っている(30代以下の人も、1度ぐらいは耳にしたことあります…よね??)名曲です。

その歌詞を読むと、高度成長時代をグイグイ突き進んでいた当時の日本の雰囲気がとてもよく伝わってきます。「三歩進んで 二歩さがる」というフレーズは実におおらか。時には失敗したり停滞したりしてもいい、みんなで少しずつ前進していけばいいじゃないか…という、人々の心が希望に満ちていた時代ならではの懐の深さを感じ取れるのです。

今の日本はというと、どこを見回してももうそんな余裕はないように思います。三歩進んだら四歩ぶんの成果を出せと上から言われて、目の前にぶら下げられた萎びたニンジン(しかもニセ物)(「エコファー」風に言うなら「エコキャロット」)めがけて前に進もうとするんだけど、気がつけば出発点から五歩ぶんぐらい後退している。成果を出せといった人間は馬車に揺られてグースカ寝てるので(寝たフリ?)、後退していることに気づかない(気づかないフリ?)…みたいな状態がもうずっと長いこと続いている感じです。

なぜ日本がそうなってしまったのか、そして今後はどうすればいいのかを考えるためにも、日本がお手本にしているヨーロッパの先進国、そしてアメリカの動向を知りたい…そう思い、世界的にベストセラーとなったノンフィクション2冊を読むことにしました。

今年1月31日に英国がEUから離脱。そして今月に入り、アメリカでは大統領選の予備選挙が始まりました。どちらも日本の将来にも多大な影響を与えるものであり、今後の行方に目が離せません。日々の楽しみとして英語の本を読んでいる私としては、欧州や米国を取り巻く状況をしっかり把握しておきたいもの。SNSやニュース記事から情報を断片的に拾うのとはまた別に、内容の精査された書籍をじっくり読んで全体を俯瞰することは、デタラメな情報に振り回されないようにするためにも大事なことだと思います。

今回読んだのは、Douglas Murray著「The Strange Death of Europe(長いので、以下邦訳版タイトル『西洋の自死』で表記)」そしてKurt Andersen著「Fantasyland: How America Went Haywire: A 500-Year History(以下邦訳版タイトル『ファンタジーランド』で表記)」です。

「西洋の自死」の著者は英国の保守系ジャーナリストです。欧州に押し寄せるイスラム系移民について切り込む内容に、極右による憎悪に満ちた本なのでは…と、読み始める前は少々身構えましたが、そんな先入観を見事に打ち砕く良書でした。過去の侵略への反省という名のもと、外面ばかりを気にして深い議論をすることなく移民政策を推し進めた結果、多様な社会が実現されるどころか逆に萎縮して自国主義に走るという皮肉。著者の批判は、根本的な問題から徹底して目を逸らし、建設的な議論を避け続けてきた西欧諸国のエリート層に対して向けられており、移民を非難するものではありません。

一方の「ファンタジーランド」の著者は、米国のエリートリベラル。とはいえ、お堅い左派の論客がしかめっ面でトランプ政権の悪口を言い続ける類の本ではありません。テレビやラジオ番組などのエンタメ畑を歩んできた人だけあり、ウィットに富んだ論調が隅々まで冴え渡ります。メイフラワー号に乗って北米大陸に渡ったピルグリム・ファーザーズを「イカれたカルト教団 (a nutty religious cult)」と呼ぶその感覚にまず驚愕。そこから先は、トランプ政権誕生に至るまでの歴史の自虐ネタが炸裂します。その滑稽さに何度も吹き出しながら、読み進めるほどににどんどん絶望的な気分になるという、これまでにない読書体験が得られました。ノンフィクション本において、脚注で大笑いしたのはこれが初めてかもしれません。

毛色のまったく異なる2冊でしたが、西欧諸国や米国の抱える問題がよくわかりました。これらの本を読むと、細かいことを抜きにすれば「日本って案外まともでは?」と思ってしまいそうになります。が、他人事として呑気に眺めている場合ではありません。日本のエライ人たちは、どういうわけか他の先進国の悪いところをマネするのが大の得意ですからね…。

しかし、ここまでガラパゴス的に独自路線をとことん突き進んできた日本です。この先、世界を揺るがす本格的な危機が訪れたとき、案外一番しぶとく、困難を乗り越えられるのではないかという気がしないでもありません。その時には、かつての包容力あふれる日本の姿を取り戻せるかもしれない……。まあこれもなんの根拠もない、祈りにも似た思いなんですけどね………。こんな自分もファンタジーランドの住民の一人なのだと自覚しつつ、現実逃避のために今日も本の世界に籠もるのです。






※ペーパーバック版は字がめちゃめちゃ小さい! Kindle版にすればよかった…。





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# by book-of-dreams | 2020-02-16 09:12 | ノンフィクション | Comments(0)
思いやりと痛みに満ちたブラジルの児童文学 My Sweet Orange Tree (José Mauro de Vasconcelos)_e0414617_21362712.jpeg


新宿のBooks Kinokuniya Tokyoで、可愛いカバーデザインに惹かれて買った本。ブラジル人作家ジョゼ・マウロ・デ・ヴァスコンセーロスの自伝的な児童小説の英訳版です。

1967年にブラジルで出版されて以来、世界中の人々に読み継がれているという名作。日本でも、これまでに翻訳版が2度出版されています。

1920年代のブラジル・リオデジャネイロ近郊の小さな町が舞台の物語。貧困にあえぐ家族の悲哀、そして著者の分身である主人公の少年Zezéの健気な姿に涙がこぼれます。あまりの切なさに、ページを繰る手が何度も止まりました…。

[あらすじ]
5歳の少年Zezéは大変ないたずらっ子。大人たちにいつも叱られ、ひどい懲らしめを受けています。しかし本当は、人一倍心のやさしい男の子です。Zezéの親友は、家の庭にある小さなオレンジの木。日々の思いをオレンジの木にこっそり打ち明け、おしゃべりを楽しむのです。そんな中でZezéは、温かい心を持った一人のポルトガル人男性と知り合い、心を通わせていきます…。

*****

子どもの遊びはビー玉やたこあげ。憧れの映画俳優のトレーディングカードが一番の財産――。はるか昔の「陽気なサンバの国」ブラジルで繰り広げられる、貧しくともたくましく生きる少年の成長物語…と聞けば、いかにもほのぼのとした心温まる物語を想像する人も多いでしょう。

確かに、主人公Zezéのひたむきさには胸を打たれます。ちっぽけなオレンジの木を可愛がったり、学校の大好きな女の先生にお花を贈ったり…。持てる手段を精いっぱい使って、好きな人や物への愛情を体じゅうで表現するZezéの姿に何度も泣かされました。ある日などは電車の中で読みながらボロボロ涙がこぼれて、隣にいた人に二度見されてしまったほど…。

とはいうものの、この作品には、「三丁目の夕日」のようなフワーッとしたノスタルジーで人を釣るようなあざとさはありません。むしろ、映画で言うならイタリアのネオレアリズモ作品(「自転車泥棒」「道」など)のように、貧困にあえぐ人たちの厳しい現実を読む者に容赦なく突きつけてきます。

ギリギリの生活を強いられる中、子どもはこんなにもつらく悲しい思いをしなければならないのかと、一つの章を読み終えるたびにやるせない気持ちになりました。何度もひどい目にあいながらも明るく元気に生きようとするZezéと、そんな彼に愛情をもって接する大人たちが織りなすユーモラスなやりとりが、この物語の大きな救いです。

児童文学ではありますが、これは今の日本の大人たちにこそぜひとも読んでほしい本です。この本に書かれていることのいくつかは、現代の日本に暮らす大人の余裕のなさにそのまま置き換えることができます。5歳の頃の自分に戻ったつもりで読めば、こんな生活はまっぴらだと思うでしょう。子どもたちにこんなにもつらい思いをさせる社会にしてはならない…そんな気持ちになるはずです。

「お金がなくても心が豊かであればいい」などという言葉は、お金に困ったことのない成功者の戯言。真っ先に貧困の犠牲になるのは小さな子どもたちなのです。子どもたちの誰もが、クリスマスにはプレゼントがほしいのです。立派な家や、かっこいい車に憧れるのです。職を失い暗い目をして家にこもる父親の姿におびえながら生活したい子どもなど、この世にいるはずがないのです…。






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# by book-of-dreams | 2020-01-30 21:08 | 児童文学 | Comments(0)
今日の自分が、見知らぬ誰かの人生を彩るかもしれない… The Sun Is Also A Star (Nicola Yoon)_e0414617_20100023.jpeg

今回は、本の感想を語る前に、私が本格的に洋書を読むきっかけとなったある男性との出会いについてお話ししたいと思います。正確には「出会った」のではなく、ただ「見かけた」だけの人です。それまでも英語学習の一環として洋書を読んではいましたが、その出来事を境に、私の洋書の読み方がガラリと変わったのです。

どこかのタイミングでこのブログに書きたいとずっと思っていたことなのですが、 Nicola YoonのYA小説「The Sun Is Also A Star」を読んだことで、ようやくその機会がやってきました。大した話ではないのですが、ご興味のある方は、しばしお付き合いいただければ幸いです…。


数年前にニューヨークを訪れた時のことです。帰宅ラッシュで混雑した地下鉄の車内で、その男性はペーパーバックを読んでいました。顔立ちから判断して、おそらく中南米系の移民でしょうか。彼の着ているチェックのシャツとチノパンはくたびれていて、泥まみれのスニーカーのつま先には穴が開いていました。その佇まいからは、ニューヨークで暮らす苦労がうかがえます。

しかし、脇目もふらずに本を読みふける彼は、私の目にはとても幸せそうに見えました。本に没頭している間だけは、日々の煩わしいことは全て忘れて空想の世界にひたることができる…そんな喜びで満たされているかような彼の姿に、私は憧れにも似た思いを抱きました。私もこの人みたいに生きよう…そんな思いにかられたのです。

それ以来、英語学習の延長として洋書を読むのをやめ、自分の楽しみのための読書に切り替えました。英語力のレベルは気にせず、そのときどきで自分が読みたいと思った本を気の赴くままに読むことにしたのです。勉強のためにという気負いや焦りを捨てたことで、洋書を読むことが純粋な喜びに変わりました。

本の買いすぎでお財布の中は常に空っぽですが、洋書を読んでいる時は、常に豊かな気持ちで満たされています(どうしても読めない本に対してキーッとなることもありますが。笑)。電車の中で本を開く時間は特に幸せで、ときどき自分が目に見えないバリアに守られているのを感じます。そんな時、ニューヨークで出会ったあの男性の記憶がいつも心に蘇ります。

あの男性は、極東で暮らす見知らぬ女に自分が影響を与えたとは夢にも思っていないでしょう。けれども私は、おそらく彼のことをこの先もずっと忘れないと思います。今でもたまに、彼のニューヨークでの暮らしぶりをときどき想像したりしています。

彼は今日も、地下鉄の中で本を開いているだろうか。

奥さんや子供はいるのだろうか。

仕事は何をしているのだろうか。

職場で理不尽な思いをしていないだろうか。

定期的に移民局に行かされて、犯罪歴についてしつこく聞かれたりしているのだろうか。

今でも彼はニューヨークに住んでいるのだろうか…。


そんなことをひっそりと…ね。



「The Sun Is Also A Star」は、移民の街ニューヨークが舞台の切ない恋物語です。母国への強制送還を明日に控えたジャマイカ移民の女性と、詩人になる夢をくすぶらせながら親の意向で名門大学への進学を目指す韓国系アメリカ人のダニエル。偶然に導かれて出会った2人の運命的な1日が描かれています。

2人が運命の赤い糸を懸命にたぐり寄せようとする裏で、彼らを取り巻くさまざまな人たちの思いが交錯します。2人との関係が深い人々(それぞれの家族)もいれば、その場限りの関係の人もいます(地下鉄の車掌、移民局の職員など)。夜空に無数の星がまたたくように、彼らにもそれぞれの人間模様があり、何らかの形で互いに影響を与え合いながら、世界を形作っているのです。

運命の出会いというものは、あえて探しに行かなくても、自分の周りのあちこちに転がっているものなのだ…そう信じたくなる物語です。小説になるようなドラマチックな出来事はそう起こらないとしても、今日を生きる自分の存在が、通りすがりの誰かに何らかの影響を及ぼすかもしれないのです。ニューヨークの地下鉄で本を読んでいた男性が、私をさらなる本まみれの人生に導いてくれたように。

あの時、私が地下鉄に乗るのを1本遅らせていたら、あの男性に出会うことはなかったでしょう。あの人に出会わなければ、洋書に散財することなく今頃は大金持ちになっていたかもしれませんが…。まあねぇ…それは、また別の話ということで。






※映画版です。主人公の2人とNYの街並みが魅力的。でも私は原作の方が好みかな…。



Nicola Yoonのもう1冊の著書「Everything Everything」は、レビューはしていませんがこちらの記事で少しだけ触れています。



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# by book-of-dreams | 2020-01-19 17:34 | YA(ヤングアダルト) | Comments(2)
「ドロシーの物語」が時代を超えて愛される理由 Finding  Dorothy (Elizabeth Letts)_e0414617_20420034.jpeg


「オズの魔法使い」の作者ライマン・フランク・ボームとその妻が共に歩んだ人生の道のりを軸に、オズの物語の誕生秘話、そして大ヒット映画の舞台裏を綴ったヒストリカル・フィクションです。

日記や手紙などの膨大な資料や学術研究などを基に、発展途上のアメリカで夢を追い続けた人々の姿を描いた大河小説。新年の読書初めにふさわしい感動作でした。


[あらすじ]
1938年のハリウッド。L・フランク・ボームの妻モードは、新作映画「オズの魔法使い」の撮影現場を訪れます。原作者である夫はすでに他界。夫が作品に込めた意図がねじ曲げられてしまうことを危惧するモードは、映画スタジオの重鎮との直談判を試みますが、まともに取り合ってもらえません。映画製作にあたり、たとえ原作者の遺族であっても口を出すことは許されない状況でした。

そんな中でモードは、主人公の少女ドロシーを演じるジュディ・ガーランドが撮影中に不当な扱いを受けているのを目撃します。ジュディの配役に疑問を抱いていたモードも、様々な重圧のもとでドロシーを演じるジュディを何とかして救いたいと思うようになります。収益のためなら手段を選ばない映画スタジオからオズの物語を守ることは、
モードと夫フランクの夢の象徴である「ドロシー」を守ることでもあったのです…。


「オズの魔法使い」が時代を超えて多くの人の心をとらえる理由が、この小説を読んであらためてわかりました。L・フランク・ボームがオズの物語で描いたのは、自身の人生そのもの。妻のモードと共に乗り越えた苦難の日々を愉快な冒険物語として紡ぎあげ、目の前にある困難から逃げずに前進し続けることの大切さを我々に教えてくれていたのですね。

努力の結果として手に入れたものが当初の願いとは違っていたとしても、それが次なる道への思いがけない扉を開いてくれる…。フランクとモードが歩んだ「黄色いレンガの道」には、そんな人生のエッセンスがたくさん詰まっていました。

この小説で描かれるモードとジュディ・ガーランドの触れ合いについては、どこまでが実際の話なのかは想像するしかありませんが、読者としてはこの逸話が本当であってほしいなと思います。この映画でスターとなったジュディ・ガーランドがその後にたどった運命を思うと本当に悲しいのですが(彼女の悲劇性もまた「オズ」が伝説となった理由の一つですよね…。残念なことではありますが)、せめて、この小説の中でジュディがモードと過ごした束の間の楽しいひとときが真実であったことを願わずにはいられません。

なお、巷に流れるジュディ・ガーランドのスキャンダラスな過去の一部については、悪意のある伝記作家やジュディを良く思わなかった人物による捏造の可能性が指摘され、現在ではその信憑性が疑問視されています。この小説でも、ジュディを取り巻くハリウッドの闇に触れられてはいるものの、観客に夢と感動を与えてくれたジュディへの敬意に満ちた描写がなされています。


今回の読書もたくさんの気づきと涙で満足された、非常に充実したものになりました。自分のヒストリカル・フィクション愛にさらに磨きがかかった気がします…。

以前このブログでご紹介したフィオナ・デイヴィスの「The Address」(レビューはこちら>>)の舞台となっていたのは、1800年代末期のニューヨーク。特権階級の金ピカな暮らしぶりが印象的に描かれていました。一方、「Finding Dorothy」で描かれているのは、同じ時代でもアメリカ中西部で貧しい生活を強いられていた労働者階級の人々。ひとたび災害が起きれば街が丸ごと消えてしまうような状況で、人々は安住の地を求めてさまよい続けていたのです。この2つの物語を比較するだけでも、「アメリカ」を一括りで語ることはできないことが良くわかるし、何事も大きな主語で語ってはならないということをあらためて認識した次第。

世界史の教科書からは何一つ学べなかった私も、丁寧に練られた海外小説を媒体にすれば、当時の人々の暮らしぶりに思いを馳せることができます。フィクションの力は本当に偉大。この楽しみをもう少し早くに味わえていれば私の人生も大きく違ったのかもしれませんが、今のままでも十分幸せだからまあいいか。エメラルドの都に向かうドロシーのごとく、自分を待ち受ける運命をすべて受け入れ、流れのままに生きていこう:->



※Kindle版はちょっと嬉しい500円台。
オーディオブックもおすすめ。厳しい時代を生きた女性たちの意志の強さが手に取るように伝わってきます。


※映画版がプライム特典で観られます。ただし画質が悪いので、気になる方はレンタル版で。


「オズの魔法使い」の原作本は、映画版よりもさらに優しさがあふれています。声に出して何度も読みたい英語。






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# by book-of-dreams | 2020-01-11 14:20 | 歴史小説 | Comments(4)

趣味で洋書を読んでいます。表紙に一目惚れして衝動買いした洋書のレビュー、本に対する偏愛、英語の勉強などについて綴ります。


by Hiroko